乱斗の隠れ家

てけとーにあれこれ自分語り

【再掲】性嫌悪について

  • まえがき

 

 前のブログを消したこと自体にさほどの後悔はないんですが、消えてしまった文章の中には「今同じものを書けと言われても書けないな」というものが少なからずあって、その中には、さらに「他の人の参考だったり心の支えになりえそう」なものもいくつかあります。……いや、後者については自分じゃよくわかんないんですけど、当時の反応とかを見る分に、どうやらそういうものもあったようだ、という。
 で、それらの文章のうち、おれの核に近い部分にあたるエントリを一つ発掘してきたので、少しだけ手直しした上で再掲することにします。「あー、こんなやつもいるんだー」ぐらいに思って読んでもらえたらいいかな、って感じで。

 あ、パクリ疑惑とか出たら面倒くさすぎなんで、その時はこのエントリごと消すと思います。一応、おれが当時これを書いた本人だ、ってことぐらいは証明できんでもないと思うんですが、労力とリターンが見合わないのは確実なんでやりません。当時のおれを知ってる方なら、このブログの過去エントリを眺めるだけで「なんとなくそれっぽい」ぐらいには感じてもらえるかと思いますが。
 つーわけで、本当にお前がこれを書いたのか、本人って証明しろ、とか言ってくるのはマジで勘弁してください。いや、別に構いませんけど相手しません。黙って消します。

 

 以下、本文。

 


 

 きっかけがあったんだかないんだかよくわからないんですけど、少し前から「自分が抱えている性嫌悪について何かあれこれ書いてみようかな」とか思っててですね。何回も書いては消し書いては消しってやってたわけです。今日は何とか書ききれたのでうpすることにしました。
 毎度おなじみの誰得自分語りエントリです。不幸自慢成分満載です。って言うとウザがられそうだし、自分ではそんなつもり無いんだけどって言うと上から目線とかマッチョとか言われそうだし、メタ視点ってやっかいですね。
 あとは、くそ長い上にオチが微妙。最低の読後感を約束します。

 

 いっつも自分語り自分語りって書くの面倒臭いなぁ、とか思ってブログの説明文とか書き換えたりしてたんですが、スマホからだと見えないんですね、この説明文。
 しかも自己紹介も見えないから、例えば「ほもです」とか書いても、スマホから読んでくれる人相手には意味が無いっていう。あ、おれはゲイです。よろしく。

 

 今日のエントリでは、性的な問題について書いているので、割ときわどい内容になっています。
 なので、性的な問題に対してデリケートな感覚を持っている方は、回れ右でお引き取り願います。

 


 

 その、性嫌悪って言っても色々あるわけなんですけど、おれが嫌悪感を抱いてしまうのは、男女間の性にまつわる事柄を連想させるもの全てです。
 ライトな下ネタは割と平気というか、簡単にウケを取れる部分ってありますので、たとえそれが性的なものであったとしても、結構好きな部類に入ると思います。笑いを共有できるのって、かなり好きです。
 ただ、ちょっとリアルな感じになるとダメですね。どのくらいダメかというと……
 昔コンビニでバイトやってた時期があるんですけど、本の陳列の時にエロ本を陳列するわけですよ。当たり前だけど。その陳列中に、棚にズラッと並んだエロ本の表紙を見るともなく見ている内に、だんだん気持ち悪くなってきて、トイレに駆け込んでゲボ吐くぐらい。オナニーと勘違いされるオマケつき。
 そんな感じで、おれにとって男女間の性行為をリアルに連想させられるものは、たとえそれがエロ本の表紙レベルであってもダメです。無理です。ゲボ吐きます。

 

 余談ですが、そのコンビニはエロ本だけで棚2本使うぐらいエロ本が売れてる気持ち悪い店舗で、必然納品も多かったわけです。はっきり言ってエロ本の陳列は地獄でした。
 そこの店長はおれの能力をけっこう高く評価してくれて、色々と任せてもらえたおかげでやりがいもあって、他のバイトの子もちゃんと付いてきてくれるいい子ばかりで、めちゃくちゃ楽しい職場だったんですが。当時はまだ自分の中にある問題を消化できていなかったので、エロ本の表紙がおれに与える影響は半端なかったです。そのせいでバイトを辞めたと言っても過言ではないぐらい。

 


 

 女性単体でもダメです。単体とか言うな。
 何がダメって、本能的なレベルで無理です。これ言っちゃダメだろって思うんだけど、「生理的に無理」と同じぐらい言っちゃダメだろって思うんだけど、無理なもんは無理なんだからしょうがないです。説明になってない。
 これは別におれがゲイだからというわけではなくってですね、同性愛者の男性でも女性と(性的な部分を除いた)関係を築くことができている人っていうのは、まぁいるわけですよ。そういうコミュニティとか見てる限り。でもおれは無理です。あぁ無能。
 いや、別に女性が嫌いってわけじゃないんですよ。その……けっこう若く?て、チャラい?感じの女子を見ると、「ヤダーナニアレー」「ッテイウカキモインダケドー」ってエンドレスリピートで脳内再生されちゃうので、これはまた別の意味でだめになってしまうんですけど。そうでもなければ、そして性差を意識しなければ、女性の方と日常的に接することは可能です。ただ、その……セクシャルな問題が絡んでくるとだめになります。

 

 これって、どのくらいの人がそうなのかわかりませんけど、日常生活を送る分にはセクシャルな部分ってあんまり意識しないじゃないですか。脳みそがエロでできてる人は除くとして。
 どう言えばいいんですかね。プラトニック?って言うと問題があるかもしれないですけど、セクシャルな領域を意識せずに相手のパーソナルに接するというか。恋愛関係や婚姻関係に無い男女が、継続的に安定した関係を築くことができるとしたら、それ以外の方法はないんじゃないかなぁ。わかんないけど。
 男女の関係において、どちらか片方だけでも性差にまつわる感情を抱いてしまったら、そしてそれを抑えることができなかったら、もうその関係は変化せざるを得ないじゃないですか。いや、それを抑え込めば表向きは何も変化しない、ということもあるかもしれませんが。抑え込んだからといってその感情が消えてなくなるわけではありませんし、それまでと同じように変わらず接することって難しいじゃないですか。その感情を抱いてしまった方は、絶対にしんどくなっちゃうと思うんです。
 そういう意味では、おれは男女間の友情ってそんなに信じてないです。無い、と決めつけるつもりもありませんけど。……あ、別にこれは良いとか悪いとかの話じゃなくて、そんなもんじゃないかなぁ、っておれが思ってる、というだけの話です。

 

 ちょっと話がそれちゃいましたけど、その……はっきり言ってしまうと「怖い」んですね。女性が。ただでさえ人間こわいのに、それに加えて女性だともっと怖い。
 何でこんなことになっちゃったのかって、まぁ色々と原因は考えられるわけですけど。どこまで書いたもんかなぁ……
 例えばそれは、母子家庭で幼少期から虐待を受け続けたこととか、小学校低学年の頃に中学生女子からほのぼのレイプされたこととか、同級生の女子に「ヤダーナニアレー」「ッテイウカキモインダケドー」って言われ続けたこととかですね。それはご褒美とか言われても困ります。
 そんなこんなで、割と根源的なところで女性に対する恐怖を抱いてしまうに至ったのかなぁ、とか。

 


 

 じゃあ男性はどうかっていうと、やっぱりダメです。ゲイなのに。根本的なところで人間こわいっていうのがあるにせよ、それでもセクシャルな部分に片足突っ込むと、無意識のレベルで怖くなってしまうのは、女性に対してのソレとそんなに変わらないです。男女平等です。
 いや、ね。そりゃ嫌いじゃないですよ。ゲイだし。女性にはときめかなくとも、男性にはときめきます。性欲だってあります。性的な下ネタも嫌いじゃないです。ただ、それは上っ面を撫で回すようなライトなところまでです。小中学生レベルの下ネタまでです。もうちょっと深いところまでいくとゲボ吐きます。
 相手も同性愛者だったりすると、ディープな下ネタでもそんなに気にはならないんですよ。あくまでもネタとして提供される分には、ですが。ただ、ノンケ・ノーマル・ストレート・ヘテロセクシャル、まぁ何でもいいんですけど要は異性愛者ですね、それが相手となると途端にだめになります。

 

 あとは……これは前にも書いたんですけど、おれはエディプスコンプレックスを消化できてないみたいで、そこから根源的な恐怖が色々と発生してくることが多いです。例えば去勢不安とか。これはもう、分析して整理するとかいうレベルの問題ではないように思えるので、認知して受け容れるしかないかな、って感じで諦めたわけですけど。
 あとは分離不安ですね。さすがに物心が付く前のことはわかりませんが、おれはパトロンもいない母子家庭に生まれたわけで、安心して自立心を発達させるために必要な母親の愛情を充分に受けられたかというと、今でも疑問に思っています。おれが赤ん坊の頃から、母親は仕事で家にいなかったんじゃないかなって。
 そもそも、ウチの母親は不器用というか愛情表現が苦手だったように思いますので、おれが物心付いてからでさえも愛情を受け取ることはできなかったわけです。まぁ、これは当時のおれにも問題があったように思うんですが。実際、後から思い返して「あぁ、あれは愛情表現だったんだなぁ」と思えたことは多々ありますし。

 


 

 これらが、どう性嫌悪と結びつくのか、というと。
 うまく説明できるかな……

 

 まず、おれにとっての「男女間の性行為」は、本来の(フロイトが定義した)意味であるところの「原光景」と結びつけられています。おれの原光景は、今までの経験によって何回か書き換えられたせいで、もはや妄想じみた虚偽記憶みたいなもんになってしまってはいるんですが、そのいずれの段階においても男女間の性行為であったことは共通しています。
 そして、おれがソレを連想すると、自分の中の無意識は「他の男に母親を奪われる恐怖」を感じることになります。「母親が自分を見捨てて他の男を選んでしまう恐怖」と言い換えても良いです。「おっぱいもらえない恐怖」が一番わかりやすいか。
 これは最も根源的な「死の恐怖」です。誰でも死ぬのって怖いじゃないですか。基本的に。手も足もがたがた震えてめまいがして天地の方向さえもわからなくなって冷や汗ダラダラで地に膝をついて死にたくない死にたくないってつぶやくわけじゃないですか。
 おれが男性を「男性である」と認識すると、あるいは女性を「女性である」と認識すると、途端に男女間の生々しい関係を連想してしまうんですよ。どうせお前らもセックスするんだろ?って。他に性別の意味を見出せないんです。せっかくセクシャルマイノリティに生まれたっていうのに、どうしても性別ってものを原理的にしか捉えられない。
 そして、男女のセックスを連想するということは、死の恐怖を呼び起こされてしまうということです。フラッシュバックですよパニック発作ですよ。

 

 でも、セックスがなかったら自分は生まれてこなかったのも事実で。自己矛盾でも二律背反でも認知的不協和でも繊細チンピラでも何でも好きなように呼んでくれて構わないんですけど、要はアンビバレンツなわけです。ソレは怖いけど必要っていう。死にたくないけど生まれたくなかったっていう。
 おれが自分の性について考える時、その行き着く先は結局デストルドーでしかなかったりします。母親がどこぞの誰かとセックスをしなければ自分は生まれてこなかったのに、それは同時に死の恐怖を呼び起こす一つの象徴なわけです。生まれるとは死ぬことだ、なんて話じゃないです。生まれる前から死んでたようなもんです。何を言ってるのかわからないよ。
 自己分析の果てに「あぁ、俺って本当は生まれたくなかったんだ」って気付いてしまった時の絶望を表現できる言葉なんか、この世にあるとは思えません。もし「死ぬ勇気」なんてもんが当時のおれにあったとしたら、衝動的に自分の頭を銃で撃ち抜いてたんじゃないかな。

 

 おれにとって、男女間の性行為(の情景)は死と直結してしまってるわけです。強固に結び付けられてしまった。だから、ソレを連想すると、脳みそが間違って死の恐怖を呼び出してしまう。逃げろ逃げろって。死んでしまうぞって。ご丁寧に視覚までハックして原光景をフラッシュバックさせてくれるわけです。お次は呼吸器系と循環器系をハック。
 そんなもん直視したくないから嫌悪感を抱くわけです。予期不安と言い換えてもいいかもしれません。根源的な死の恐怖を、前もって避けようと学習するのは至極当然のことです。問題はそれが間違った学習だということです。
 「性別なんて無ければよかったのに」なんてバカなことを考えてしまうのは、おれがセクシャルマイノリティであることと無縁ではありませんが、それよりも上に書いたような恐怖感による部分が大きいと思います。

 


 

 長々と、生命への冒涜とも取れるネガティブな自分語りを書き連ねてきたわけですが。実際のところ、常日頃おれがこういうことを考えている、というわけではありません。むしろ考えないように考えないように、と馬鹿げた努力をしているわけです。
 別に誰がどこでセックスしてても、見えない限りは気にもしませんし、いちいち想像もしません。基本的には。

 

 子どもはかわいいし、生まれてきて欲しいし、生まれてきたからには幸せになってほしいし、そしてまた新しい子を生んで欲しい。
 そうやって、次の世代に、また次の世代に、と。この世界を手渡していけたらいいんじゃないかな、ぐらいに思っています。
 おれはそこに直接関われないけど、思うだけなら自由かなって。

 


 

  • あとがき

 

 最初の方で、かなり過激にエロ本嫌いを露呈しちゃいましたけど、別にエロの存在を否定するつもりはないです。
 おれも(同性の)エロ同人誌読むし。エロがなかったら人類とっくに滅んでるし。
 だから、過剰なエロ規制には基本的に反対の立場を取っています。

 

 ん~……無理やりほじくり返して書いた部分が多いので、何というかネガティブまっしぐらに見えるかもしれませんが、おれは割と元気です。
 性嫌悪もフラッシュバックもパニック発作も、慣れてしまえばどうってことないです。苦しいのはその時だけだし、あとは性的なことから意識を遠ざければいいだけなので。
 今も性嫌悪で悩んでいる方には「今まで何とかなってきたし、これからも何とかなるよ」って伝えたいですね。何とかなりますよ、多分。
 あ、でも一人で抱え込まないようにして下さい。本当にしんどくなったら、周りの人や専門家に相談しましょう。

 


 

  • 子どもを生まない方、あるいは生めない方へ。

 

 シメの表現は、おれの素直な考えではあるのですが、あくまで人類全体に対して、ということです。それが「普通」だ、なんて押し付けるつもりはありません。
 あくまでも個人の考えです。
 もし傷つけてしまったなら済みませんでした。