乱斗の隠れ家

てけとーにあれこれ自分語り

「施設より里親」という幻想

 特定のエントリを貼るのは避けますが、少し前、表題のような論調で書かれたエントリを立て続けに見ることがあって、その度に何とも言えない引っかかりを感じてまして。それから……だいたい1ヶ月ぐらいですか、ずっとあれこれ考えてたんですけど、ひとまずの言語化はできたので、ここへ上げることにしました。
 ……本当は、こういうデリケートな問題については、きちんとした数字と論拠を示せる人に任せた方が良いのだろうし、おれが何を言っても「子どもをダシにしてあれこれ語って気持ちよくなってるだけの人」にしかなれないのだけど、どうしても我慢ならない部分が多かった。どこか問題があるようなら、即座にごめんなさいするつもりではいます。

 

 そもそも、「子どもは家庭的な環境の中で養育されるのが望ましい。だからできるだけ、児童養護施設よりも里親にその養育を任せるべきだ」って考え方を最初に言い出したの、一体誰なんですかね。いや、誰でもいいんですけど。
 言ってしまえば陳腐な理想ですよ。丁寧にさらったわけではないけど、おそらく20年ぐらい前にはもう、公文書とかに書かれてたんでしょう。こんなことぐらい。

 

 なぜ、「施設より」家庭的な環境こそが良い養育環境だ、と言い切ってしまえるのか。他の何を比較対象に持ち出すこともなく、「なんかーよくわかんないけどーやっぱ家庭ってーいいカンジだよねー」とか言うのとはわけが違う。
 こうやって噛み付こうとしてるおれだって、家庭的な環境とやらがもたらすメリットぐらいはいくつか思い付きますよ。子どもにとって、自分を特別に見守っていてくれる養育者から受け取る愛情は、他では得がたいものだ、とか。将来、その子どもが長じて家庭を築くことになった時、親となった時、そのロールモデルとなる体験があった方が良い、だとか。
 なるほど、それはそうでしょう、とは思う。施設では、なかなかそうはいかない部分がある。おれが自分の目で見てきた場所は少ないし、随分と昔のことでもあるから、残念ながらグループホームユニットケアに関しては何もわからないけど、小舎制であってもその環境を家庭的と呼ぶのは難しい。あくまで職員は職員であり、入所児童の保護者や養育者にはなりえても親にはなれない。どうしたって、そこで表現される愛情は条件付きのものになりがちで、それはきっと、当の職員の方々が日頃から苦悩していることのひとつでもあろうと思う。
 ただ、だからと言って愛情の獲得が難しいかというと、そうは思わない。大舎制の施設では親のロールモデルを獲得できないかというと、そうも思わない。一般の家庭より困難な部分はあるにせよ、それらは児童自身の適性と施設の保護方針によって、いかようにも変化しうる部分だと感じています。

 

 んで、何より。これ大事だと思うんですけど、「施設では得がたいものが養育家庭の中にはある」が真ならば、その逆もまた然りなんですよ。そこを見落としちゃいけないし、ましてや、意図的に無視するようなことがあってはならない。

 

 「家庭より」施設で育つ方が、良い影響を受けやすい部分だってあるし、その方が適している子どもだっているはずで。
 たとえば、虐待によって児童養護施設へ措置された子どもの割合は全体の6割にも上る、とかいう話も聞きますけど、そういう被虐待経験を持つ子どもにとって、「自分と同じような子がいる」と、情報ではなく肌で感じられること。「つらい思いをしたのは自分だけじゃない」と、説教じみた偉そうな言葉ではなく、自らの心で受け止められること。そういった……自助グループ的な効果ってのは、現状、他じゃなかなか得がたいもんだと思うわけです。
 あとは……こういうことを言うのって良くないとは思うんですが。施設に措置されるような子どもはおよそ、そうでない子どもと比較して、まぁ……色々な「問題」を抱えていることが多いです。一般にイメージされやすいだろうところの、孤児とかはそれほど多くないというか、むしろ少ないですし。そこに手を伸ばそうと思ったら、どうしたって綺麗事だけじゃやっていけない。各種の里親が「可哀想な子ども」をイメージして引き受けたはいいものの、やっぱり無理でした、じゃパーマネンシーもクソもねぇよって話で。
 これは、言い換えれば「プロをなめるな」ってことでもあります。昨今、様々な分野において「プロの技術」が軽視されがちだと感じることが少なくないです(あるいは昔からそういうもんかもしれません)が、児童福祉もその例に漏れないのかな、と。多く問題を抱える子ども達を相手に、きめ細やかではないにせよ日々の生活を、集団の中でそれなりにやっていくための勘所を提供するっていうのは、間違いなく「プロの技術」です。そこを軽視して、「家庭的な環境こそが至高」なんて嘯くのは欺瞞ですよ。

 

 家庭の中で育つ子どもが多数を占めるこの社会において、どう言えばいいんですかね……「普通」を獲得しながら他の人間とうまくやっていく、ってのは確かに、施設で育つ子どもにとって難しい部分だったりはします。だから、「家庭的な環境の方が良いことも多い」というところまで否定するつもりはありません。
 ただ、多くの職員の目によって見守られながら、「自分はひとりじゃない」と感じながら生活していく、ってのもまた、家庭では得がたいもんじゃないか、と思うわけです。そこを「家庭で育つ権利」とか、ひと目に綺麗な大人の理屈で無視してかかろうとしている(ように見える)から、無条件に「施設より里親」とのたまう言説に対して、おれは言いようのない嫌悪感を、激しい抵抗を感じていたのだと思います。

 

 全体から見た家庭養護の割合がどうだとか、世界的に見て多いだとか少ないだとか、そんなことはどうだっていいです。よそはよそ、うちはうち、です。大事なのは「子どもにとってどうなのか」です。だからこそ、そこを大事に考えているだろう、全ての児童福祉に携わる方々に対して、おれは敬意を忘れたくないし、忘れてはいけないと思っています。

 


 

  • あとがき

 

 無条件に「施設より里親」って考え方を根拠とするような言説は、家庭養護と施設養護の間に序列をつけているのと同じで、それはすなわち「施設育ちは可哀想」ってレッテルを貼るのと紙一重です。
 居酒屋の酔っ払い談義ならそれでもいいんですけど、児童福祉に関わる人間がそれを言ったら駄目だろう、とおれは思います。そんな、当該児童にも施設職員にも失礼な話ってないですよ。
 本文にも書いた通り、子どもの養育環境としての児童養護施設には色々と問題があったりしますけど、じゃあ家庭での養育なら問題ないのかといったら、そんなことはないわけで。「家庭」ってだけで幻想を抱くのもいい加減にしてくれよ、と思います。

 

 各種里親の方々に向かって喧嘩を売るような内容になっちゃいましたけど、実際、里親ってそんな簡単なもんじゃないだろう、ってのも想像ぐらいはできますし、敵に回したいわけではないです。ここらへん、言ってしまえばケースバイケースってことにしかならないんですが、里親の下で養育されるのが望ましい子どもだっているのはわかりますから、善意でそこに携わっている方に頭が下がることはあれど、唾を吐きかけようという気にはなれません。
 末尾ですが、気分を害された方に、ここでお詫び申し上げます。単に、おれが里親について無知なだけ、ということでお目こぼし頂ければ幸いです。