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乱斗の隠れ家

てけとーにあれこれ自分語り

男性カップルの養育里親認定について

養育里親:男性カップルを大阪市が全国初認定 - 毎日新聞

 

 夜に改めて考えようと思っていたのだけど、Twitterの反応が全体的に気持ち悪すぎて、何も手につかないぐらいにモヤモヤしてしょうがないので、さっさと吐き出すことにする。
(正直なところ、ブコメにも少しうんざりさせられたのだけど、大きく踏み外したブコメは今のところ見てない。……あ、あくまでおれ個人の感覚の話)

 

 この問題、みんな気軽に、過剰に持ち上げすぎじゃないですか。
 最初は、おれが天邪鬼だから、頑迷固陋な人間だからそう見えるだけじゃないのか、と疑ってみたんですが、どうもそれだけとは思えない。
 性的少数者として生まれ育ち、家庭に少なからざる問題を抱え、児童養護施設と関わりを持ったことがある、珍しくもないなりに多くはいないだろう一人の人間として思うこと。

 

 あなた方、「子どもが」「子どもが」って言いますけど、本当に子どもの方を向いて言ってますか。
 仮にも「子どもが」と主語に置くなら、もうちょっと子どもの立場とか考えて欲しいなと思うわけです。こんなの言うだけ無駄とは知りつつ、ですよ。それでも、文句の一つぐらいは言っておきたい。
 この問題の影響を受ける子どもが現実にいる以上、軽々に、過剰にこの一件を持ち上げるのは、何かが間違っていると感じます。あまつさえ、この一件を持ち上げるために「毒親より」とか「施設より」とか言い出す人間のことを、おれは一切、これっぽっちも信用する気になれません。そんなことを言い出したら、今度は引き合いに出された「そっち側」にいる子が「可哀想」ってことになりかねないでしょう。

 


 

 ちょっと脱線しますけど、先週流れてきた

「親子は血が繋がっていてあたりまえ」という思い込みをなくしていく――日本と諸外国の養子縁組 / 産婦人科医、石原理氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-

こちらのエントリ。 

 

「親子は血が繋がっていてあたりまえ」という思い込みをなくしていく

って文言をタイトルに据えてる割に、どうも「施設より養子」って思い込みがあるように見えて仕方がなかった。そこ、何で序列つけないといけないんだろう、って。それじゃまるで、養子にもらわれた子の方が幸せで、引き取り手が現れず施設で育った子は不幸みたいじゃん、って。

 


 

 おれはゲイなんで、その……権利が認められたりとか、そういったことを本来、素直に喜ぶべき立場なのだと思います。
 子どもの福祉として見ても、各種養護施設じゃ行き届かないところがあるのは事実で、だから養子縁組に限らず、各種の里親が増えうる道筋が示された今回の一件は、(今後とも注視していく必要はあるにせよ)喜ぶべき最初の一歩なのだと思います。
 ただ、今この世界に生きる子ども達に、おれの問題は無関係なのだ、ということは忘れちゃいけない。おれが過去に抱く恨みとか、願いとか、そういったものを彼らに託してはいけない。彼らの人生は彼らのもので、彼らの幸せは彼ら自身が決めるものなんだから。

 

 今回の件を神輿にして、お祭り騒ぎ、しようとしてませんかね。子どもをダシにして何かを語ろうとしてませんかね。自分の願望とかイデオロギーを「子ども」って言葉にくるんで主張してませんかね。
 ――おれが一部の反応を見て疑問に思ったこと、何なら一人一人に文句を言って回りたいぐらいに腹が立って仕方がなかったことは、とりあえず、こんなとこです。

 

 賛否を問わず、「子どものことを考えている」ってところさえ一致していれば、喧嘩腰にならずに交わせる言葉だってあるんじゃないかな、とか。おれは今、そんなことを思っています。……甘っちょろい考えなのかもしれませんが。

 


 

  • あとがき

 

 一つ目のエントリのブコメにも書きましたけど、おれは色々な面において当事者(寄り)の立場なんで、人の心がそう容易くは変わらないことを、差別を糾弾したところで構造を急には変えられないことを、よく知っています。
 だから、この件に対して批判的な意見――たとえば「子どもにいじめ等の不利益があるのではないか」とか――にだって意味があると思うし、そこに文句をつけたって意味がないだろうと思います。むしろ、そうやって反対意見を糾弾すればするほど、歪みが大きくなっていくんじゃないか、とさえ。

 

 仮想敵を作って、それを糾弾して、注目を集めて、間接的とはいえ意見の封殺に加担して、それで満足して終わり。なんてのは、何というか……虚しいし、未来に続くこの問題は、そんなぞんざいに扱っていい話じゃない、とおれは思います。