乱斗の隠れ家

てけとーにあれこれ自分語り

今、子ども達のために

 何を書いても嘘くさくなっちゃうことってあるじゃないですか。じゃないですか、って言われても知らねぇよ、って話なんだけど。俺はそういうこともあると思ってて、だから日頃は書けないことが結構あるんです。……単に、俺の言葉選びが未熟なだけかもしれないけど。
 『怒り』って映画で、ある人物が「本気っていうのを伝えるのが一番難しいんだよね」って言ってて。「本気って目に見えないからさ」って。俺は、未だにこのセリフの芯を掴めた気がしないんですけど、なんとなくわかるなって部分もあって。
 「悲しい」って言うのは簡単で、「切ない」とか「悔しい」とか「憎い」とか言うのだって簡単で。だけど、その言葉が腹の底から発せられたものなのか、なんてことはきっと誰にもわからない。それが自然な言葉であればあるほど、却って薄っぺらく感じられることだってある。――そんなことを考えてたら、ふと先のセリフを思い出して。
 本気で悲しいことって、たぶん色々あると思うんですけど、その時に「悲しい」って言うだけじゃ、きっと誰にも伝わらないんだよなって。嘘くさくなっちゃうよなって。……難しいよなって思います。

 


 

 取り返しのつかない、悲しい事件がありました。たぶん多くの人がそう感じたように、悲しくて切なくて悔しくて憎くて遣り切れなかった。そして、少なくはないだろう人がそう感じたように、もしかしたら俺もそうなっていたかもしれない、と思った。
 最初は、この件には触れないでおこうと考えていました。まず報道に踊らされたくなかった。関係者に対する報道の圧力を思えば、今この事件に注目することで(間接的に)関係者の負担を増やしてしまうのが嫌だった*1
 そして何より、子どもをダシにして好き勝手に喋って気持ちよくなるのって醜悪だよな、という感覚があった。ましてそれが、既に亡くなった子どもに対してのものであるならなおさら。
 ただ、それでも俺は黙ってちゃいけないような気がして、今この文章を書いています。……焦っていいかげんな言葉を吐くぐらいなら、一人で黙って考えてた方がマシなのかもしれないけど。

 

 これは前のブログにも書いていたことだし、他の場所でも敢えて隠したりはしていないので書きますが、俺は昔、親から虐待を受けていました。肉体的精神的を問わず、結構ひどめの暴力を日常的に受けていて、死に瀕したことも一度や二度ではありませんでした。
 上で「もしかしたら俺もそうなっていたかもしれない」と書いたのは、それゆえです。被虐待の経験を持つがゆえに、この事件を他人事として処理することができない。
 ただ……それでも俺は、本当の意味では「当事者」ではないのだと思います。当事者ぶるようなことを書いておいてなんですが、俺は生き残ってしまったから。今も生きているから。亡くなってしまった子どものことは、結局のところ、わかりようがない。
 だから、今回の事件について言えることは何もありません。無力な部外者としては、関係者による真相究明を待つ以外にできることはないし、何をすべきとも思わない。せめて被害児童の兄弟がこれ以上傷付かないよう祈るばかりです。

 

 今回のような事件がなくとも、報道がなくとも、俺は児童虐待に関する問題を注視し続けています。そこから引き起こされる、また別の問題の数々を、俺なりに消化しようと考え続けています。そして今思うのは、たぶん児童虐待はなくならないのだろう、ということです。
 この世に数多ある他の犯罪と同じように、子どもを損なおうと働きかけてしまうのはヒトという種が抱えるバグのような、あるいはガンのようなものだと考えています。それも含めて仕様だ、という考え方もできると思います。ちょっとしたボタンの掛け違いで、どこで起きてもおかしくないこと。それが虐待という問題なのだと考えています。
 だからこそ、ヒトは歴史の中で、社会を維持するために――他の犯罪の抑止策と同じように――子ども達を保護するための仕組みを作ってきた。このあたり、社会情勢によって違いはあるし、一部には子どもを棄損するための仕組みさえあったにせよ、現在の日本ではおよそ「子どもは守り育てるもの」という建前の元に数々の福祉制度があるのは疑いようがありません。
 そして、俺が知る限り……ここ20年ほどの間で、この国の児童福祉制度は大きく変化しました*2。人々の意識も、全体として見れば大きく変わったように感じています。躾という名の折檻が当たり前だった時代と比べれば、随分と子どもに優しい社会になったものだと思います。

 

 俺は歴史というものを信じています。過去多くの人が、それぞれのために戦い、積み重ねてきた歴史の上に、現在のこの世界があるということ。普段は意識せずとも、その恩恵を受けながら、今ここに立っているということ。そこに悲観も楽観もない。現在まで積み重なってきたのであれば、これからも積み重なっていくのだろう、と思います。
 だったら今、ちっぽけな俺が子ども達のためにできることは何があるだろう?

 


 

  • あとがき

 

 ずっと、“書く”ことへの恐怖に支配されていました。“書く”ことによって自分を書き換えてしまうのが怖かった。
 ナラティブであることは同時に、自分を変化させていくことでもある。ってぐらいのことはわかってたつもりなんですが、わかった気になってただけなのかな、とか。実は甘く見てたのかな、とか。そんなことを去年ぐらいからずっと考えていて、全然文章を書くことができなかった。
 この一年ほどの間、はてなでもTwitterでも、よく無言でブクマしたりスターだけつけたりfavしたりしてたのは、つまりそういうことです。
 ただ、今この件に関して口を噤んだままやり過ごすのは不誠実な気がして、俺なりに言葉を尽くそうと思いました。……ズルい書き方だなぁ、という自覚はあります。不十分だなぁ、とも思います。でも、これが今の俺の精一杯でした。

 

 自分が受けた虐待についてはそれなりに整理がついたんですが、児童虐待そのものに対する執着は消えていません。これからも消えないのだろうと思います。
 今この瞬間も虐待に苦しむ子どもがいるということに、俺は我慢がなりません。でも、だから、件の児相を責めるのではなく、親を責めるのでもなく、今を生きる子ども達のためにできることを、手の届く範囲で積み重ねていくしかないのだと思います。

 


*1:結局、一部の扇情的で不誠実な報道に対して口を出さずにはいられなかったのだから、まんまと踊らされてしまったのだという他ありませんが。

*2:記憶に残っている中で大きなものは……1994年「児童の権利に関する条約」批准、1997年「児童福祉法」改正、2000年「児童虐待の防止等に関する法律」成立、など。その後も、社会の要請に応じて「児童福祉法」は改正され続けています。